石製品について

岡崎石工品の歴史

更新日:2019年01月28日 月曜日

岡崎の石工業の歴史は古く、今から400年前、永禄年間(1558~1569)の頃には石魂を持って生活の道としていた人たちが住んでいたといわれています。

岡崎の花崗岩が石材として実用価値を見いだされたのは戦国の世築城全盛期の頃です。享徳元年(1452)岡崎城が築かれた時、西郷稠頼(さいごうつきより)が今の小呂・六供、滝方面の山から石垣用として石材を上納させました。さらに天正18年(1590年)に徳川家康が関東移封を命ぜられ、秀吉の重臣田中吉政が岡崎城主となり城下町整備にかかわる堀や石垣築造に必要な石工を河内や和泉から招き、随念寺が門前の土地を貸し与え保護しました。

城下町整備が一段落すると河内から移住された石工たちは、石製品の燈籠や手水鉢、鳥居など彫刻、細工を業としてその技法・技術に磨きをかけ春日型燈籠、六角雪見型燈籠など岡崎石工品の原型をつくり出しました。 これが岡崎の石工業の発展の起源です。

弘化元年(1844)から嘉永四年(1851)に作れた「参河名所絵(みかわめいしょえず)」には「石工伝馬町北裏に在(あ)り、石切町と云ふ、両側倶(とも)に石工立並び数十軒あり。其の製する所当処を最上とす。故に近国は更なり、江戸大阪に運送して是をひさぐ事夥(おびただ)し。」とあります。

近くの山からとれる極めて良質の花崗石(みかげいし)があったこと、東海道の宿場町で往来の人々が優れた石工品を直接目する機会に恵まれ、参勤交代の折、諸大名が徳川家由来の神社仏閣にこの地で買い求めた燈籠などを上納したこと、さらに矢作川の水運を利用して、川舟千石船が重い石燈籠を容易に江戸や大阪へ運ぶことができたなど好条件が揃っていたことです。

そして、岡崎石工品の歴史を石屋の数でたどってみると享和年間では33軒、明治17年「岡崎石匠組合」結成時には約33軒、大正5年210軒、昭和13年「岡崎石匠組合」を「岡崎石製品工業組合」に改組時には295軒、戦前の最高時には350軒を数えました。

大正昭和と燈籠、神社仏閣彫刻等の需要が高まり、昭和2年池上年氏が「岡崎石工芸術研究所」を創立し、岡崎石工品の芸術的評価を高める契機となり、岡崎の燈籠の水準が著しく向上して「石都岡崎」の名声を高めることになったのです。


灯ろう

更新日:2019年01月11日 金曜日

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